マンガで伝える、三原をつくる人々の思い

自身のタッチを生かして描く似顔絵

マンガ家の中石田真輔さんは毎週末、道の駅『みはら神明の里』で似顔絵を描いています【金・土・日曜(第2・4日曜は除く)の10~15時】。使用する画材は、B4サイズの原稿用紙、筆ペン、薄墨、修正液、スクリーントーンなど。マンガ家ならではの画材ですね! 今回は、お話を伺いながら私も1枚描いていただくことになりました。

「1番大事なのは、目と顔の輪郭。顔の特徴が出やすい所です。髪の毛は、どこまで描くかを見極めることが大切ですね。丁寧に描き過ぎると日が暮れちゃうので(笑)」と、迷いなくスラスラ~とペンを走らせていきます。下描きは一切なし、ぶっつけ本番です。ここで描くようになるまで、似顔絵を描いたことがなかったという中石田さん。

「描くときに気を付けていることは写実的に描かず、自分のタッチを活かすことですね。それと、似顔絵師の方は特徴を誇張して描くことが多いのですが、僕はしないようにしています」

最初にサインペンで描いた後、筆ペンと薄墨で濃淡を付け、仕上げとして背景にスクリーントーンを貼るのが中石田流

マンガでおなじみのスクリーントーンを、手際よくカッターで切って、パパっと貼っていきます。まさに神業プロの技!「東京でマンガ家アシスタントをしていた時に習得した技です」

10~15分で似顔絵が完成~! マンガのテイストを取り入れた、ふんわりと優しいタッチの似顔絵ができました

 

 

夢だった、東京でマンガ家デビュー

幼い頃から絵を描くことが好きだった中石田さん。中学生の頃にはマンガ家に憧れ、ノートにストーリーマンガやギャグマンガを描いたり、放課後に仲間4~5人で集まって一緒に作品を描いたりしていたそうです。しかし、高校進学で仲間たちとはバラバラになり、マンガ家への夢は遠のいていきます。その後、東京の大学に進学するもマンガを描くことはなく、悶々としながら時間だけが過ぎていく日々でした。

再びマンガと向き合うことになったのは、23歳の時。大学卒業後、スーパーマーケットに就職した中石田さんに、ある日ふと「これを一生の仕事にするのか?」という思いが浮かんできました。「自分がやりたいのはマンガの仕事だ、ずるずる引きずってもだめだ」と決意し、スーパーでの仕事を辞めて東京都内にある専門学校のマンガ科に入学しました。

「2年やってみて、箸にも棒にもかからなかったらあきらめよう」と決めていたそうです。専門学校では、出版社の人が学校を訪れ、学生の作品を見る「出版社審査会」が定期的に開催されていました。中石田さんが25歳の時、この審査会で2つの大手出版社から声を掛けられました。

「やっぱり向いていることをやるべきなんだ。新人賞を獲るまでは東京で頑張ろう!」と奮起し、マンガを描き続けました。同じ頃、『風光る』『Dreams』などで知られる漫画家・川三番地先生のアシスタントとしても働くようになります。

そして2011年9月、中石田さん作の『じゃりけん』が『電撃コミックジャパン』(アスキー・メディアワークス)の第2回新人マンガ賞で佳作を受賞。翌2012年には、四コママンガ『春、遠からじ。』でついにデビュー! 中石田さんの夢が叶った瞬間でした。

 

マンガ家として自分にしかできないことを三原で

東京で活動していた中石田さんでしたが、東日本大震災をきっかけに、地元三原のことを考えるようになりました。「『もしも三原が被災したら……』と思うようになり、自分が地元にいない歯がゆさを感じたんです。マンガ家として三原で何かできないかを考えるようになりました」と話します。そして2015年、30歳の時に活動の舞台を故郷三原に移しました。

三原に帰ってきてからは、道の駅で似顔絵を描いたり、マンガ教室の講師を務めたりしながら、新たな作品の制作に取り組みました。そうして、「これからは三原でやっていく」と覚悟のもとで描き始めたのが『みはらドロップス』でした。中石田さんが三原で出会ったキラリと光る人を紹介していくルポマンガ『みはらドロップス』。、2018年、2019年、2020年、2021年と一年に一冊のペースで単行本の刊行を続けています。

作中には、画家、音楽家、飲食店のオーナー……など、さまざまなジャンルの個性豊かな三原の人々が登場

 

「この人面白そう!と自分が感じた人に会って話を伺い、その方のストーリーをマンガにしています。スーパースターばかり並べても、僕が描く意味がないので、あまり知られていない人にスポットを当てています。面白そうって感じられる人は僕の勘なので出たとこ勝負ですが、とんとん拍子にいいなと思う人に出会えているんです」取材した人が次の人を紹介してくれることも多く、ローカルならではの人とのつながりの強さを実感しているそうです。

インタビューでは、積極的に自分自身のことを話すようにしている中石田さん。

「99%僕が話している時もあって、どっちがインタビューしているのかわからないほど(笑)。潜在的にポロっと話したことが1番面白かったりするので、あまりQ&Aを決めないようにしています」と取材のコツを教えてくれました。

また、みはらドロップス取材時には、“三原の印象”を必ず聞いているそうです。中石田さんと同じように一度、都会に出て三原に戻ってきた人が多いのですが、そのほとんどが「三原には優しい人が多い」という印象を持っているそう。

「僕も、三原は人も町も優しいのが魅力だと感じています。出しゃばらず、商売っ気が無い土地柄だなと感じています。それが自分には合っているみたいですね。住んでいて落ち着くし、地元の方が相手だと自然体でマンガが描けるんです」

今では「死ぬまでここで描いていきたい!」と思うほど居心地が良いそうです。三原で暮らす中石田さんだからこそ描けるマンガ。1話1話に、三原に生きる人の暮らしぶりや思い、夢がギュッと詰まっています。ライフワークとなった『みはらドロップス』を、今後も年1冊のペースで描いていきたいと言います。

“三原をつくる人々の思い”、これからも素敵なマンガで発信してください!

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中石田真輔(なかいしだ しんすけ)さん 
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